移植対談インタビュー

INTERVIEW

まず、多くの科の中から腎泌尿器外科学講座への入局を決めた理由は?

学生の頃は、泌尿器科という科に入ろうとはまったく思っていませんでした。最初は整形だったり、内科に興味がありましたが、科を回っている中で先生にいろんな手技をやらせてもらって、そこから興味を持ちましたね。
研修医の時も、開腹手術やロボット手術だったり、女性小児と幅広くいろんな分野があることや、内科的・外科的な側面を体感しましたし、腎臓という臓器にも興味があって。移植も見させてもらったりして、自分で最初に診断して治療して完結できるというところに魅力を感じて入りました。

僕の時代は研修医制度がなかったので、卒業時に何科になるか決めておかなければいけなかったんですよ。学生レベルの知識しかないし、働いてみてどうとかまったく分からなくて、科の雰囲気でなんとなく…(笑)。運動部にいてケガもよくしていて、整形に患者としてお世話になっていたので、整形外科には通い慣れていたんですけどね。部活の先輩が泌尿器科に何人かいたのもあって、決めたという感じでしょうかね。
雰囲気は科によって違うし、先生の入れ替わりでも変わりますしね。学生時代に決める時は、正直、その間だけで見た雰囲気でしたね。

学生に与えられる情報と社会人になって得る情報って、全然違うからね。学生の時なんて、給料がいくらなんてわからなかったし。今はそんなところも、知ったうえでみんな入ってくるからね。

逆の面もありますよね。見過ぎて迷ってしまう。決めてがなかなかなくて迷う人もいるし、わからないまま入ったほうが…という人もいるでしょうね。

いまの主な業務内容を教えてください

今は、入院患者は診ていなくて外来中心ですね。ある一定の条件の患者さんを診察すると、移植後患者指導管理料という診療報酬加算が発生するんですが、移植に特化した専門外来「移植専門外来」が僕の主な業務です。移植を外来で希望された方、もしくは移植が終わって通院で外来に来る方を診ています。移植そのものは月に1~2件で、事務方的作業や教育指導、研究、論文を書いたりする仕事が中心ですね。
自分が執刀するというよりは、手術や透析などアシストに入って、手を動かすところは他のドクターに任せています。手術の相方、いわゆる助手ですね。若い人にたくさん経験して欲しいんですよ。

私は、ほぼ全般的にやりますね。科は3チーム編成で、その中でいろんな疾患を担当するのですが、その1チーム長をさせてもらっています。その時々の状況によって病棟医長が割り振りをして、いろんな疾患を担当し手術や外来業務を行います。
それから、透析室長もさせてもらってますね。いろんなことをやる実働部隊です。その中である程度上にいて、指導しつつ自分もやりつつという状況です。

昔は主治医1人が1患者さんを見ていたけど、土日もあるし、ドクターが休めなくなるからね。チームで1人の患者さんを診られれば、他の誰かがフォローできますから。入院患者に主治医が3チームいるって感じだね。

みんながあらゆる業務を、まんべんなくやっていますね。大分は特にマンパワーが多くないので、「どこへ行ってもある程度何でもできる人」を育てるという意味で。

大分県は大学病院が1つしかないでしょう。僕たちは定期的に配属の異動があるし、1つのことを突き詰めてやったところで、「私はがんしかやれません」では仕事にならない、というところに至ってね。大学外の病院では何でもやらなきゃならないから、基本的なことを身に付けて、その上にプラスして自分の売りを持つという感じだろうね。

安藤先生が移植に携わるようになった経緯は?

僕はこれまでに、東京女子医大とアメリカのカリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学経験があって、そこで移植の手技をガッチリ学びました。
当初、東京女子医大への留学は半年から1年くらいの予定だったんですけど、「大分はドクターがいないから早く帰ってこい」と大分に3か月で戻されました(笑)。ただ、その3か月間で、大分で経験する何年分もの手術をやらせてもらえました。昔は移植が年に2~3件でしたからね。
東京から帰ったのが2010年で、上司から移植をだんだんと引き継いできました。海外には1年行きましたね。東京は移植をやる(腎臓を植え付ける)側で、アメリカでは亡くなった方から移植用に臓器を取る手術をひたすらやっていましたよ。

移植などの難しい手術は、ハイボリュームセンターといって同じ疾患患者さんが情報を頼りに集まるんです。でも、留学先の先生は「達人が1人いるよりも普通のドクターが10人いた方がいい」と言っていて「それいいな」と思いましたね。
今さらですが、僕、移植と透析だけはしたくなかったんです(笑)。それって、よくわからない・できないから親しみもわかなかったんですよ。けれど、留学も経験してやらせてもらって、できるようになると抵抗感が減っていきましたね。移植に特化して実践を重ねていく留学であれば、実際には1年はいらなかったかなとも思います。

腎臓外科・泌尿器科での藤浪先生の役割は?

先ほど話したように、この科の全員が基本的に何かしらすべてのことをできるようになる、というのが前提なので。今は透析専門…というわけでもないですし、他のドクターも透析をやるんですけどね。
学生さんの前で科について紹介することもあるし、みんなの先頭に立つような「長」と名の付くポジションもやっていますが、その中で泌尿器科のドクターとしてやれるべきこと、として透析があるという感じでしょうか。
自分の中では、専門としてどれを突き詰めていくかはこれから決めていく感じかな。「手を動かしたい」というのもあって執刀医をさせてもらっているし、逆に指導する立場になって、教えることで改めて自分がわかることもあるので、そこで自分のスキルも上げていければいいなと。
といいながら、透析に携わる割合は多いですかね。

腎臓外科・泌尿器科医の、手術との向き合いかたは?

外の病院で病気が見つかれば紹介で来院されるのですが、自分で診断をつけて、実際に手術して感謝されて。元気に帰られる姿を見る方もいるし、逆に、手術したけれど再発して、入院されて化学療法をやって、結果最期を看取る方もいらっしゃいます。そこは、最初に自分が泌尿器科医になろうと思ったきっかけの部分が実現できているし、満足していますね。

二十数年もやれば、いいことはいっぱいあるんですよ。逆に、恐ろしいこともいっぱいあるし、脇の下から汗がドバドバでるような局面も経験しましたね。

手術中はあっという間に時間が過ぎますね。時間がわからなくなるくらい。

僕は手術中に取り乱したり切迫しないように、リラックスした雰囲気を出すように意識していますね。教える人が慌てていたら、周りも焦るから。

今までの手術で焦った感じは見たことがないです。それは初めて聞きましたよ。

焦りがちな場面こそ、留学先の東京とアメリカのドクターは徹底して「声を荒げるな!」だったな。
もし本当はテンパっていても、言葉の伝え方で全然雰囲気は変わるよね。声を荒げるでもなく「ちょっとあれ準備しておいて」みたいな。「これは以前に経験して、こうすれば解決するんだ」と考えられるようになるには場数も関係するでしょうね。ただ、声は徹底して荒げない。

基本は、自分に余裕がなければ正しい判断ができないし、それがみんなに伝わってしまいますからね。どんなことがあっても冷静に、これは意識してやっていますね。

演技は大事ですよ。

そうありたいと思っていますね。意識していないと手が止まってしまうんですよ。正しい判断が出来なくなるし。

移植の手術は始めたら絶対に成功させなければならないというプレッシャーを、他の手術に比べて強く感じますね。他の手術も100%成功させるように望むわけですが、そのプレッシャーが圧倒的に他の手術とは違いますね。そういった意味では、藤浪先生の考え方、やり方は移植向きですよ(笑)

お二人のやりがいをお聞かせください

今、僕は執刀医をほぼやっていないですし、若手になるべく雑用がいかないようにして手術してもらっているので、直接的に患者さんとの間でやりがいを感じる場面は少なくなっていますね。
ただ、自分が悪くなった時には手術をしてもらわないといけないですからね、それが目的(笑)。
県外に行かなくても、ここ(大分大学)に任せられるというのが患者さんにとって良いと思うんです。若手が前はできなかったことが今はできるようになっているとか、成長が目に見えてありがたいですよ。
大学によっては同じ泌尿器科でもやることが違って、透析や移植をしない泌尿器科が多いんですよね。大分大学では疾患を限定せずに、ドクターは基本をすべてできるようにしているので、テリトリー(できる幅)が広くなる。ここは、ドクターのやりがいにも繋がるだろうね。

大分のマンパワーの問題はあるけれど、泌尿器科を頼りたい患者さんはやはり多いですからね。大分県の中で「ここにくれば何でも応えて治してくれそう」というような安心感を持ってもらえるポジションになれればいいですね。今そのためにやっている仕事すべてが、やりがいにもつながっています。

今後のビジョンは?

やっぱり、若い人が泌尿器科に来てくれると嬉しいよね。今いる僕らの世代が10人いても同じことはできないから。若い人がいて、いろんな人がいないとね。定期的に若い人が来てくれるのが個人的に良いなと思います。超高齢社会だから、この科は絶対に必要なんですよ。仕事が切れる、先細りする心配はまったくないから。

ひとことでいえば、「こいつに任せれば大丈夫、この人なら手術なり何でも」という人になりたいですね。結局、そうなることで、若い人たちが「こんな医者になりたい」って思える、医者の憧れや理想像になれればいいなと。そうすると、若い人も入ってくれるだろうし、学生さんの間でもきっと伝わるでしょう。 わかりやすく、目標とされる医者になりたいですね、野望です。

指名される先生ね。「藤浪先生がいいです」って。

「教授にお願いします」は、今でもありますけど、その希望が叶えられないこともありますからね。

患者さんの「大学病院で診てもらっている」という安心感の中で僕たちがいるけれど、異動でいなくなれば診られなくなる。だから、「あの先生に診てほしい」って言ってもらえるといいですね。患者さんからもそう見られたいし、医者の間でも「あの先生がいるところで研修を受けたいです」とね。

安藤先生からみた藤浪先生はどんな先生でしょうか

まずは、さっきも言いましたが、彼は難しい手術に向いていますよ。「これは困った」という手術に向いている。それと、みんなの前で自分の意見を言えるところがいいですね。言わない人も実際はいる中で、彼はそれができる。
これがどうして良いのかと言えば、僕が指導していて言ってもらわないとわからないことってあるんですよ。だから、聞いてくれたり思ったことを言えるというのは、すごく頼りがいがありますよ。

藤浪先生からみた安藤先生はどんな先生でしょうか

安心感というか。指導してもらう側からして、長年変わらず和ませてくれますし、信頼があります。理想像に近い存在だと思います。
これも、手術の時と同じように演じているんですかね。いつも同じようなスタンスでいるように、意識してやってくれているんでしょうね。

腎臓外科・泌尿器科医を検討している学生へメッセージをお願いします

身内が開業しているといった事情がなければ、最初から「泌尿器科に入ろう」「泌尿器科の先生になりたい」と思っている人は多分、そんなにいないと思います。こればかりは研修で回ってみないとわからないと思うので、もし興味があれば回って泌尿器科の良さを感じ取ってもらいたいですね。そうすれば、おのずと入ってもらえるかなと思っています。魅力を感じてもらえると思いますよ。

若い時って、きっと手術をしたいと思うんですよね。泌尿器科は、ロボット手術症例も多いし、最先端医療に近いところで業務に携われるという特徴がウリでもあります。でも、歳を取ってくると体力的にきつくなってきたり、目が悪くなったりして、手術に耐えられない事情も出てくるかもしれない。
泌尿器科の仕事には、手術だけじゃなくて歳を取ってもできる内科的仕事のほか、いろいろありますからね。若い人がやりたい仕事もあるし、それが出来なくなりつつある人でもやれる仕事がある。
そうすると、年代や状況にあわせて生涯設計が立てやすくなるんです。たとえば女医さんならば、妊娠出産を経験して手術から離れてもいいし、育休が明けてからも手術に携わるママドクターもいます。個性に合わせて、泌尿器科の中でも仕事が選べるのは、これから将来に向けて不安なく生活を送るという意味でも大事な事だと思いますね。